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2006.04.28

四畳半から宇宙へ

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 キセルのライブDVDが届いたので、さっそく深夜に見る。前回の小沢健二の記事にちょこっと書いたとおり、私はキセルの大ファン。一年のうちに5、6回(小さいのも含め)ライブに行っちゃうくらい好きである。

 キセルの最大の魅力は、声や演奏、映像によって作り出される浮遊感と、どんどん空間が広がっていく感覚と、同時にとても閉じ込められた空気や小宇宙を感じさせるところだと思う。そして何よりお兄ちゃんの声がめっちゃ好き。
 キセルのように、しん、という感じにさせるライブは、他にはコーネリアスくらいだった。すべての音が、声が、自分の全身に還ってくる。音楽に包まれていく。溶け込んで、満ちて、覚醒し、カタルシスが訪れる。
 初めて聴いたキセルの曲は『ハナレバナレ』だった。つまらない授業中にウォークマンのイヤホンを片耳に突っ込んで、机に突っ伏した、というエピソードは前回も書いたが、そのときの感覚が余りにも鮮烈で去らないので、今でも『ハナレバナレ』が一番好きな曲だ。ギンヤンマとか方舟とか町医者とか名曲はたくさんあるんだけど、どうしてもこの座は譲れない!ノダ。(いや、別に譲らなくていいんだけど)

 二年前の五月、九段会館にキセルのライブを見に行った。とても幸せな気持ちになって、友達と二人で「よかったねぇ」と言い合ってお泊りをして、翌日は高田渡さんを見に、吉祥寺音楽祭へ出かけた。佐野史郎バンドを見ていると、ゲストに突然キセルが登場してびっくりした。曲は大好きな『ピクニック』。お墓でランチというシュールな歌詞はキセルのもつ不敵さ、残酷さをオブラートに包んで見せているようで、変な兄弟やなぁ、と思う。その後、普通にキセルのお二人がライブを見ていたので、終わった後にずうずうしくも話しかけ、昨日のライブの感想を言い握手までしてもらった!当の二人には日常茶飯事なんだろうけど、一ファンとしては忘れられない思い出で、後から膝がガクガクしたのを覚えてる。そのあと、いせやに行ったら高田さんと小室さんに遭遇し、なんだか夢のような二日間だった。(半月後、小室さんは私が大学でとっていた授業にゲストとして講義をしにきた。)

 映画『タカダワタル的』で、高田さんが下北のライブハウスでライブをしている時に、「今ここで死んでもいいねぇ、みんな一緒に」と、いつもの調子でモジョモジョと話していた。音楽をやっているとき、一番幸せなときに、死を感じる。無欲になる。私がキセルのライブに行くたびに、「うーん、今死んでもいいね。」と思ってしまうのは、タカダワタル的なのだろうか。
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Posted at 12:48 | Music | COM(2) | TB(0) |
2006.04.25

『恋しくて』が恋しくて

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 私は小沢健二の大ファン。音楽が楽しい!と思った原点には小沢健二がいて、自分の偏愛すべてが小沢くんから始まっているような気がする。
 小沢くんのシングルには名曲が多いが、残念ながらアルバムに収録されていない曲も多い。前に『刹那』というシングルコレクションのCDが発売されたが、それにも収録されていない私のもっとも好きな曲が、『恋しくて』。16cm紙シングルでしかもB面。1997年。

 「幸せな時は 不思議な力に守られてるとも気づかずに
  けど もう一回と願うならば それは複雑なあやとりのようで」

 本当に、幸せな記憶をたどるとオレンジ色の光に包まれていて、でもそれはもう二度と起こらない。もう一度!と切に願っても、複雑なひとつひとつの小さな出来事や思いや奇跡が絡まってその瞬間が生まれたので、もう一度なんてありえないのだ。今ならよくわかる。

 「いつもいつも君が恋しくて 泣きたくなるわけなんかないよ
  思い出すたび なにか胸につっかえてるだけ
  それで何か思っても もう伝えられないだけ baby!」

 『恋しくて』を初めて聴いたとき、普通に座っていられなくて机に突っ伏したことを覚えている。切なくて胸が苦しい。音楽を聴いてそんな風になったのは初めてだった。それ以来では、高3の授業中に、片耳にウォークマンのイヤホンを突っ込んで、こっそりキセルの『ハナレバナレ』を聴いていた時くらいだ。授業中にそんなことしてちゃいけないんだけど、あの時も、同じように突然机に突っ伏したので、周りの人は何事かと思っただろう。
 こういうのは、つまり、音楽を聴いて恋しい気持ちに恋するような気持ちになるのは、音楽の魔法のひとつだと思う。

 「そんなことの全て 僕らが見た光
  眩しすぎて生々しくて痛むよ とりあえず」

 生々しいくらいの光。今は光は見えない。それは過去や未来にしか、いつも存在しないのかもしれない。そしてその光が暖かいものであればあるほど、遠い遠い過去や未来に。

Posted at 15:24 | Music | COM(3) | TB(0) |
2006.04.24

スライ・アンド・ザ・レインボー(後編)

 前回の続きです。「アンド・ザ・レインボー」の方です。

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 『虹』は今回初めて読んだ。

 読み始めてすぐ、余りにも自分とかぶる部分が多すぎて、とにかく一文たりとも絶対に逃せない!という感じになった。最後までその勢いで読み続けた。
 海のある地元や、働いているレストランをすごく愛しているところとか、東京や東京の人の考え方への違和感や馴染めなさ、母のためにセーターを買っていったが、死んでしまったことや、帰る場所がなくなったことや、性格が頑固で鈍いところとか、オーバーヒート、植物が好きなところ・・・などなど。
 全く同じとまではいかなくても、過去にあったことや感じ方や、今自分が置かれている状況と似ている所が余りに多かったので、その分すごく真に胸に迫ってきて、泣けてきた。

 ただ、それは(残念ながら、というべきか・・)前半部分だけだ。私にはそのあとの後半で重要な鍵となる鋭い観察眼も素朴で丈夫な心も持っていなければ、恋もしていない。

 後半には、不安定で複雑で、絶望に慣れそうになっている瑛子に、確かな希望が訪れる。でも、私にはそれは無く、そこからは変な自己投影をしないで、純粋にstoryとして追っかけていった。そして、金山さんの話に、「希望の訪れというのは案外こんな風にやってくるものなのかも」と思わされた。
 私にも、瑛子のように「確かな希望の訪れ」というのはやってくるのだろうか。そして、それは金山さんや瑛子のように、ほんとにちょっとした瞬間に光を見つけるようなもので、まさに「幸運の女神には後ろ髪がない」という感じの、隙の無いchanceなのだろうか。だとしたら、逃さないように、上を見上げなければ。

 ところで、スライ・アンド・ザ・ファミリーストーンはとてもいいですよね。私のバイト先でもよく流しています。今更?と思うかもしれないですけど、おじさんたちには評判いいんですよ。「オッ、これスライ・アンド・ザ・ファミリーストーンだよね?懐かしいなぁ」ってね。そのあと「俺たちの頃はさぁ~」とか話し出しちゃうと、シェフが出てきて盛り上がっちゃって仕事になんないので、ご勘弁だけど。

Posted at 10:22 | Books and Comics | COM(4) | TB(0) |
2006.04.21

スライ・アンド・ザ・レインボー(前編)

 スライ・アンド・ザ・ファミリーストーンだと思ったでしょ?ふふ。好きなんだけどね。

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 『SLY』を初めて読んだのは、中学生の時。その時はこんなにも感動しなかった。
 けれども、今再読して、モーレツに感動しているのは、死の予感とはどんなものかということや、その凄まじい喪失感や、自分が(この自分が) 生き死にの擦れ擦れのところにいるってことを、すごく強く認識するようになったからだと思う。

 自分の周りのなんでもない人が、ある日突然いなくなる。その人がいるときには、まったく存在を意識しない、気にも留めなかった、当たり前のことだったのに、居なくなったらこんなにも空気が変わるなんて、ということを知った。死によって、または不在によって、逆に初めて存在というものを意識する。そういう類のことはとても哀しくて切ない。世界が一変する。あらゆるものが変わる。もう二度と戻れないってことを、死なんてものの気配すらも感じなかったあの頃よりも、ずっとずっと切実に感じる。

 JR福知山線の事故から一年。一年前、新聞に毎日目を通して、亡くなった人の中に知人がいないかを必死で確かめた。そんな中、目にした死亡欄には、私と歳の近い学生やOLさんの名前がたくさんあった。見ていくうちに、いつ、自分が死んでもおかしくないのだと強烈に思った。明日死んでも不思議じゃない。未来が来なくても不思議じゃない。同い年のその人たちの死は、私にタイムリミットというものを強く意識させ、そしてその感覚は、その日からずっと私の体に色濃く残っている。

 『SLY』は、そういう私の中にできた残りの時間の感覚や死の予感を、鮮明に浮かび上がらせつつも、「だからこそ美しい、人生捨てたものじゃない」、という私が心底望んでいることが書かれていて、本当にそうだったらどんなにいいか、と思って泣けてきた。
 
 続きは次回。なぜって?続けて書くと長くなりすぎて、誰も読んでくれないかもしれないからさ!そしたら、オイラが寂しいからさ!!んでは、チャオ。

Posted at 23:12 | Books and Comics | COM(2) | TB(0) |
2006.04.13

岡崎京子さんのことなど

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 岡崎京子の『ぼくたちはなんだかすべて忘れてしまうね』を、本屋で衝動買いする。

 岡崎京子のマンガは、高校のころにずいぶん熱心に読んだ。本棚に並べられなくて、まるでエロ本を隠す中学生男子のように、とっておきの隠し場所にしまっていた。引っ越す時に全部まとめて売ってしまったが、なぜか今日また買ってしまった。
 家に帰って、どれどれ・・・と読み出すと、乙女心がぐわっと戻ってきた。あの頃の、隠れて読んでいた頃の乙女心だ。つまり、めんどくさくてぐちゃぐちゃでややこしくてたまにきゅんとするアレだ。岡崎京子のマンガを初めて読んだのは、中学生の時で(『pink』だったと思う)、そのときはまだ『花より男子』とか『ご近所物語』とか『ピーチガール』とかを読んでいたので、かなりこわくて、ショッキングだった。未知の世界だった。しかもさっき言ったような、めんどくさくてぐちゃぐちゃでややこしくてたまにきゅんとする未知の世界だった。そしてリアルで、それ故にグロテスクだった。
 私はその後、思春期に岡崎京子を読まなくて一体いつ読むんだ?というごもっともな意見に従い、『リバースエッジ』とか『へルタースケルター』とかを読み始めたわけだが、そのとき受けた的確な指摘は、いまでも全くもってそのとおりだったと思う。
 「思春期に岡崎京子を読まなくて一体いつ読むんだ?」

 相変わらず彼女の作品を読むときは、覚悟がいる。時機を見なくてはいけないのだ。たぶん今日は、その時機がぴたっと合ったから、「今まさに岡崎京子を読まなくてはいけないんだぜぃ」という感じでレジに直行したんだと思う。今、改めて岡崎京子を読んで、自分はあの頃とは少し変わったな、と思う。気づかないところで、多分、変わったのだ。もう読んでビビッたり泣いたりしない。きゅんとしたり、哀しくなったりはするが、スルーできる。でも、忘れるのはだめ、というギリギリのところで踏みとどまるための直感が、私をレジに向かわせたんだと思う。
 が、ただ本能のままに、読みたかっただけ、というのもまたよっぽどの真実だったりするのだ。あ~、恥ずかしい(笑)。

Posted at 12:37 | Books and Comics | COM(2) | TB(0) |
2006.04.08

カート・コバーンとバナナフィッシュ

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 サリンジャーの『バナナフィッシュにうってつけの日』を読む。特別サリンジャーが好きという訳ではないが、これは短いので何度も手にとってしまう。何度読んでも、御伽噺みたいだ。バナナフィッシュは、死を呼ぶ魚。バナナフィッシュを見ると、人は甘美な死に誘われていくように、自ら死を選ぶ。

 「バナナフィッシュはね、バナナがどっさり入っている穴の中に泳いで入っていくんだ。入る時にはごく普通の形をした魚なんだよ。ところがいったん穴の中に入ると、豚みたいに行儀が悪くなる。そしてバナナを食べ過ぎて穴から出られなくなって死んでしまう。」
 バナナフィッシュは何かのメタファーなのだろうか?つまり、バナナは欲望を具現化したもので、一度欲望に取り付かれた人間は、豚のように欲望を追い求め貪り尽くし、その自我は原形を止めないほどに醜く歪み肥え太っていく。「バナナ」を食べ続け、穴に閉じ込められた人間を待つのは孤独で愚かな死だけだ。もしそうだとしたら?そんな「バナナフィッシュ」を見たら、死にたくなるかもしれないな。自分がバナナフィッシュになる前に。
 J.S.ミルの、「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。」という言葉が頭に浮かぶ。でも、自分がどっちかなんて一体誰に分かるっていうんだ?
 執拗に繰り返される会話が、私をいつも薄気味悪い白日夢に引きずり込む。それでいて、自分もバナナフィッシュを見てみたい奇妙な欲望に取り付かれてしまう。

 今日は、大好きだったカート・コバーンの命日だ。「だんだん消えていくくらいなら、一気に燃え尽きたほうがマシだ」 というメモを残して自殺したカート。彼はバナナフィッシュを見つけたのだろうか?グロテスクなショービズの世界で。

 ところで、コートニー・ラヴは相変わらず「キレたねーちゃん」という感じが色褪せなくていい。私はもう昔ほどニルヴァーナを聴かなくなった。


Posted at 20:15 | Books and Comics | COM(4) | TB(0) |
2006.04.04

ダイヤモンド・ジャズ

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 いつも聞いているラジオで、「ダイヤモンド・ジャズ」というジャンルを初めて耳にした。と、それもそのはず、「ダイヤモンド・ジャズ」とはその番組が独自に作った造語だったが、この命名がなかなか気に入ったワタクシ。「ダイヤモンド・ジャズ」とは、4月の誕生石がダイヤモンドであることに引っ掛けて、ダイヤモンドのようなゴージャスで美しい輝きを放っている女性をエスコートしたくなるジャズのこと。命名が気に入ったわりには、ダイヤモンドにもゴージャスにもエスコートにも、おそらく一生縁の無いであろう私には、もっとも縁遠いジャンルであるとも言えそうだ。

 1曲目はリナ・ホーンの『Diamonds are a girl's best friend』。ダーリンにティファニー、カルティエをおねだりするところから始まる。全ての女性にとってダイヤモンドがこういう存在であるかどうかは謎だが、鳥山さんいわく、男の心理から言えば愛する女性にはどんなサイズであってもダイヤモンドをプレゼントしたくなるそう。フムフム、そういうモンなのか・・・。

 2曲目はカウント・ベーシー・オーケストラの『shiny stockings』。3曲目はジョン・ヘンドリクスの『shiny silk stockings』。ダイヤのアクセサリーを身につけるときのファッションとしては、ぜひこれを希望したいとのことでの選曲。またしてもフムフム。もちろん演奏も極上!

 4曲目はフランク・シナトラの『The best of everything』。ゴージャスでリッチ。フランク・シナトラというと、どうも「オーシャンズ11」('60)でのイメージが強いせいか、ベガス臭い、というのがこれまでの私の印象だ。その印象は未だあるが、それでもこうして「ダイヤモンド・ジャズ」と銘打たれて聴かされると、「なるほどね、ネオンじゃなくってダイヤのギラギラね。」と(単純にも)肯いてしまう。シナトラにダイヤなんて渡された日にはベガスだろうと浅草だろうとあまり関係ないじゃないかという気さえする。まぁ、どうでもいいんですけど。

 この企画は面白かった。シナトラのところでも述べたように、私はビッグバンド・ジャズがどうも苦手だ。スモーキーな煙の似合うジャズ、ビ・バップやモダン・ジャズのほうが好きだ。でも、「ダイヤモンド・ジャズ」を聴いていてとってもウキウキした。それはやはり私が女だからなのか、躍らせるジャズだったからなのかはわからないが、詰まるところ、いい音楽はジャンルじゃないよな、ということなのかもしれない。
 来週もやるらしいので、興味のある方はご一聴を。
http://www.j-wave.co.jp/original/bodyandsoul/

Posted at 01:25 | Music | COM(2) | TB(0) |
2006.04.03

Beautiful Beautiful Songs

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 オオヌキさんのラジオが終わってしまった!水曜日の深夜にもう何の楽しみもない。悲しみに打ちひしがれた私は、さっそくアマゾンでオオヌキさんのCDを注文した。
 深夜番組は、どうしても下ネタが多い。そして無意味にテンションが高い。これはもう何十年と続いている、伝統とも言うべきものだから仕方が無い。そんな中、燦然と輝いていたオオヌキさんのラジオ!低く淡々と話す声と、知性がにじみ出たトークと、ありえない選曲(ジャコパス特集とか)が素晴らしかった。カムバーーック!!
 一度だけ、メールを送ったことがある。しかも読まれた。エヘ!オリンピックの話の回で、私はその時伝記で読んでいたキャシー・フリーマンのことを書いて送った。ラジオを聴きながら、ベッドの中で「うきゃあ!」とひとり歓声を上げた美しい深夜2時!
 またどこかでDJをやってくださることを願って。それまでは、beautiful songs を口ずさんで待つとしよう。

Posted at 00:58 | Music | COM(2) | TB(0) |
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