--.--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


2006.06.22

ブラジル戦前夜

2596871236.jpg

 深夜ラジオをつけたら、浜田省吾の『19のままさ』が流れてきて、ものすごく切なくなった。深夜一人でベッドでごろごろしながら、こんな青春ソングを聴いていると、中学生に戻ったような感じだ。19歳のころ何をしてたかも、もう全然思い出せなくなってきていて、おそらく大して面白いこともなく結構つらかったと思うのに、今こうして振り返ると甘酸っぱく思ってしまうのは、「オヤジの青春回顧」のような気がして老いを感じる。

 昨日はアルゼンチンVSオランダの試合を見たため、寝不足だし、今日もこれからブラジル戦で、もう眠くて仕方ないのだが、気が高ぶっていて寝れそうにない。というか、寝る気はない。

 さっき、『そのとき歴史が動いた』の再放送を見た。「日本サッカー ベルリン・オリンピックの奇跡 ~世界を驚かせた逆転勝利~」。タイトルからして感動的で、今夜に相応しい。1936年、戦火の予感が渦巻く中で行われたベルリン・オリンピック。日本は優勝候補のスウェーデンと対決した。スウェーデンが、サポーターから「万雷のような拍手がわきおこり、たくましいスウェーデンチームを迎えた。」という歓迎を受けた一方で、「日本選手は礼儀正しく無言で観衆に向かっておじぎをしたが、観衆には殆ど注目されたなかった」。前半は0-2。スウェーデンの一方的展開で、日本は全く力を出せなかった。しかし、後半。
 「気後れも幸運を頼む甘さも、もう捨てないわけにはゆかなかった。そして、監督の言葉に、我々は忘れ物のありかをふっと思い出した」
 「今からでも遅くはない。後悔は決してしたくない。後は死にもの狂いで戦うだけだ」
 結果、見事日本は3-2で勝利した。同点に追いついてから、観客は日本のプレーに魅了され、東洋の小さな一国の勝利を願うようになっていた。スタジアムは日本を応援する声に包まれ、勝利の瞬間には歓喜が沸き起こった。
 「何事にもアグレッシブであれ。絶え間なき斬新。強くなろうとすることは、常に苦しいことです。しかし、苦しさに耐え、一歩一歩踏みしめていく、その過程こそが、喜びに変わっていくのです。」
 ええ話や。日本もがんばれ!
スポンサーサイト

Posted at 03:08 | Anything | COM(0) | TB(0) |
2006.06.06

カンブリアの不思議

top.jpg

 ナツと電話。かなり久しぶりだったが、会っていない時間を感じさせない気の置けなさは、友情の厚さを思わせる!数えてみたら、ナツとは今年で8年目。高校の頃のようにバカな話から、ちょっと大人な話までたくさん話したが、それでもいつも「あ~、全然話し足りない!」と思ってしまう。ということで、これからも続くであろう付き合い、末永くよろしくね♪

 さて、『カンブリア宮殿』を見る。村上龍と小池ちゃんが司会だが、毎回ものすごく旬な人を取り上げるので、ついつい見てしまう。
 いつも思うが、村上龍は作家なのに、というべきか、作家だから、というべきかはワカラナイが、とにかく多方面に明るく洞察力と分析力があり、そしてきちんと意見を持っている人だな、と思う。彼の小説は、人間性のホラーとも言えそうな恐さがあり、読むたびに地の果てまで落ち込むが、こんな視点で世の中を見ているのはどんな気持ちなんだろうと常々思っていたので、現代の諸現象を鋭く掘り下げていくこの番組をやってくれるのは、一ファンとしてもとても嬉しいし、興味深い。

 第一回目は、ミクシィの創始者。私もミクシィをしばらくやっていた時期があったが、どうにも嫌悪感があって馴染めなかったので早々に辞めた。あんな気持ち悪いコミュニケーションスペースを作る人ってどんな人なんだろう、と思った。
 ああいったオープンなSNSをやっていて気持ち悪いと私が思ってしまうのは、人間関係や思い出というものに時間的な歪みがでてくるからだ。今は懐かしい友達にSNS上で会えるのは嬉しいが、ネット上でなまじっか半端な付き合いがあるせいか(というか、ネット上での付き合いしか、もはや無いせいか)、昔はとても親しかったその友達の今の日常生活に、自分が全く存在しないことをまざまざと感じてしまう。その子と私の思い出は、確かに当時のモノで楽しい香りを発しているにもかかわらず、SNSで今の彼らの生活を垣間見ることによって、過去の思い出がだんだんと形を歪めていくのだ。
 そうやってSNS上でとても表面的で一方的な付き合い(というかノゾキに近い)をしていると、不思議と、次に顔をあわせて会ったときに昔の私たちで会えないのだ。空白の時間をお互いに一方的に知ってしまっていることが、知っているようで知らないという現在の付き合いを生み出してしまい、思い出の中にきちんと戻っていくことが出来ないのだ。それはすごく悲しいことだったし、そんなことなら何年音信不通でも思い切って会って楽しかった思い出の話をしたい、そして縁があるならまた会いたい、という付き合い方の方がずっと健全で温かみがあると思った。会う回数や近況を知る回数はSNSよりずっと少なくても、濃密で将来性のある、胸を張って友達だといえる付き合いのような気がする。
 あくまで私の考えで、人によってSNSへの考え方や付き合い方はそれぞれだと思うが、誰もが諸手をあげてのSNS称賛組だとは思ってくれるなよ、とカンブリア宮殿を見て思った。

 今日は、元体育教師の原田隆史さん。その指導理論が企業の人材育成理論に応用されているらしい。
 「今の自分に決して満足するな!」という赤いマーカーでノートに書かれた文字。最近、人間一生成長論がそこらじゅうで声高に叫ばれていて、それ自体はとても崇高な考え方だと思うし、現状に満足せず常に上を目指すという生き方は現代にマッチした生き方なんだろうな、とは思うのだけれど、もうそろそろ聞き飽きたなぁ、というのが正直なトコロ。現状に決して満足しないというのは、突き詰めれば決して満足している状態がないということだし、死ぬまでそうやってハングリーで生き抜いていくのは、その到達点に(到達点があればの話だが)一体どれほど価値のあるものがあるのだろう、といつも疑問に駆られる。
 「持続可能な開発」を唱えて開発や発展や成長という棒にしがみつきながら、地球環境のことを考えようという虫のいい冗談みたいな話、京都議定書。それと同じように、この「現状に満足するな論」も、世間で崇められながらも、一方ではヨガとかロハスとかスローライフも同じ空間で崇められていて、両者を共存させようとしている現代は、矛盾だらけで諦めの悪い、キモチワルイ時代だ、と思う。なんだか一人で綱引きをやっているみたいだ。左手と右手で縄を引っ張り合ってるみたいだ。

 カンブリア宮殿は、旬なトピックや人を取り上げてはいるのだが、そもそもがそれらのヒットを生み出す土壌という現代がなんだかオカシイので、必然的にカンブリア宮殿を見ていても、なんだかうまく騙されているような気になる。そのまま素直に感心できなくて、なんだかんだと上のようなイチャモンをつけながら見ている私は、どうやらゲストの方々のような時代の寵児には、一生なれそうにない。でも、まぁ時代を知るという点ではとても興味深い番組なので、興味のある方は一度見てみると面白いと思います。

Posted at 00:11 | Anything | COM(6) | TB(0) |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。