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2007.09.02

フラガール

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 「人生を後押しする、そんな映画を作ろうと思った。」

 物語の役割は何だろう。
 大学で哲学の授業をとったとき、その教授は、「物語の役割のひとつは他の生き方を提示してくれること」と言っていた。新自由主義の授業のときで、もし人がひとつの物語しか持たなかったら(例えば、有名大学→有名企業=幸せとか)、その物語が挫折したとき、人はどうやって他の物語を見出せばいいのかという話だった。そのとき、もし人が他の物語を知らなければ、その人はこれからどうやって生きる意味を見つけるのか、そのときに糧となるのが小説や映画や他の人の物語だ、と。
 ちょうどそのころは大学再編の時期で、哲学は文学部の必修科目である必要はないのではという議論が教授会で出ていたらしく、教授はかなり熱心に法学部の私たちに哲学の意味を語ってくれた。
 「君たちはよく、哲学を学ぶ意味は何ですか、と尋ねるけど、その学問が君たちにとって意味があるかないかを決めるのは君たちじゃない。自分にとって学ぶメリットがあるかないかを、自分で判断することができると思うなんて傲慢だ。大学に来る意味がないよ。」
 難解な話が多く、私が理解できたのはそれくらいだった。

 今週号のアエラに、『フラガール』のプロデューサーである石原仁美さんの記事が載っていた。脚本、配役、制作のすべてを取り仕切った彼女のこの映画に対する思いは、「人生を後押ししたい」ということだった。
 石原さんは、望まないOLをしながら劇団をやっていたが、出口がみえず、このまま人生が思うようにならなかったらどうしよう、という恐怖を常に抱えていた。未来が見えないまま、漠然と生きていたそんなころ、石原さんはある芝居と出会う。幼い少女に気持ちが戻ってしまった80歳の老女が主人公の物語で、次第に老いた自分を受け入れていく老女に、自分を重ねたという。
 「私、そのとき23歳だったのに、老女の気持ちがわかったんです。たとえ思い描いている人生にならなくても、明日生きる意味を見つけようって。」

 「物語がどれほど人を勇気付け生きる力を与えるのか、石原さんは自身の体験でよく知っている。「人生を後押ししたい」と何度も繰り返すのは、誰よりも自分自身がそういう物語を必要としていたからだ。」と記事は続く。
 
 物語の役割はなんだろう。
 その哲学の教授はこうも言っていた。「みんな似たような物語を持っているけど、その物語のとおりに成功する人たちはほんの一握りだということに、君たちはもう薄々気づいているだろう?」と。ハイ、気づいてます、そんなこと。諦めてきた思い、叶わなかった思いを抱えてそれでも前に進まなくちゃいけないってことも。他でもない自分が歩を進めなければならず、他の誰も代わってはくれないってことも。
 でも、自分の人生が思い描く物語のとおりに行かなかったとしても、そのあと白紙のページが死ぬまで延々続くわけじゃない。また新しい物語がいつかはきっと始まるはずだ。そのために、他の人の物語に背中を押してもらうことはできる。生きる意味を見つけようとすることはできる。勇気付けられてちょっと救われることはできる。新興宗教じゃありません。物語の役割のことです、念のため。

 私はこのアエラの記事を読んで、当時の石原さんさながらに号泣した。私にとっては彼女の「物語」がまさに私を勇気付け、私の背中を押してくれたのだ。そして、どうしてこんなに泣いたんだ?と考えた。
 それは、私がその物語を必要としていたからだ。夢に向かってあきらめない、今が望まない状況でも明日を信じて生きていこう。ああ、なんてクサイ!こっぱずかしい!!でも、人はそんなこっぱずかしいことを、何度も自分の心の中で唱えているのではなかですか?そしてそれはきっと、そう唱えざるを得ない自分にとって、とても必要なことなのだ。
 人は無意識に物語を求め、必要としているのだと思う。人が、ある物語に心揺さぶられるのは、その物語が、自分にとってまさに必要なものだからだと思う。だから、もし自分自身のことを知りたいのなら、その物語をじっと見つめてみればいい。小説にせよ、映画にせよ、テレビのニュースにせよ。その感情が感動にせよ、涙にせよ、怒りにせよ。そうすれば、自分が今必要なものがおのずと見えてくると思う。まるで鏡のように。それもまた、物語の役割だと思う。 
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Posted at 20:03 | Cinema | COM(3) | TB(0) |
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