--.--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


2008.03.09

人はなぜ確率に弱いのか

 雑誌『ニュートン』に、おもしろい記事が載っていた。「人はなぜ確率に弱いのか?」
 
 今日も銀行の隣の宝くじ売り場には、何人も人が並んでいたが、宝くじの当たる確率は、1000万分の1。それは、1年間に交通事故で命を落とす確率の500倍である。それなのになぜ人は確率論よりも、直感や感情にまかせて行動してしまうのだろうか?
 そんな導入から始まり、「あなたの直感が正しいか?」を試すための4つのクエスチョンが出される。

 さてその問題をご紹介しましょう。
「Q1.誕生日の一致
  生徒50人のクラスがある。その中に、同じ誕生日の人が1組でもいる確率はどれくらいだろうか?50%よりも大きいだろうか、小さいだろうか?

 Q2.日本シリーズ
  ある野球解説者が、開戦前に次のように解説した。「今年の日本シリーズは大接戦です。両チームの実力は全く互角ですから、最終戦の第7戦までもつれこむ可能性が最も高いでしょう」。この解説は、はたして正しいだろうか?

 Q3.「モンティ・ホール問題」
  挑戦者の前には3枚のドアA、B、Cがある。どれかひとつのドアの後ろには、豪華な商品がかくされているが、残りの2つのドアはハズレである。
  挑戦者は、ドアAを選んだ。すると、司会者は、残された2枚のドアのうちドアBを開け、それがハズレであることを挑戦者に見せた。ここで司会者は、挑戦者にこう持ちかけた。
  「はじめに選択したドアAのままでも結構。ですが、ここでCに変更しても構いませんよ」。
  さて、挑戦者は変更すべきか否か?

 Q4.ウイルス感染検査
  いま、1万人に1人の割合で感染しているウイルスがあるとする。あなたがこのウイルスの感染検査を受けたところ、「陽性(感染している)」と判定された。
  この検査の精度は99%であり、誤った判定を下す可能性はわずか1%しかないという。このとき、あなたが感染している確率は何%だろうか?50%より大きいだろうか、小さいだろうか?」
   (~『ニュートン』2008年4月号 p85~)

 いかがですか?私は見事に全部外れました。つまり、私も例に漏れずかなりの直感人間だということだ。私が衝撃だったのは、第3問。この問題は、よく大学の授業でも取り上げられるという有名な問題らしい。私は、「確率は2分の1だから、変更しなくてよい。」と自信満々で予想した。しかし、正解は、「変更すべき」だったのだ!
 それはなぜでしょう?

 司会者がBを開く前には、Aがあたりである確率は3分の1で、Aがハズレである確率は3分の2である。つまり、3分の2の確率で、BかCかがあたりである。でもここで、司会者がBがハズレだと教えてくれたことで、Cがあたりである確率は3分の2になるのだ。
 ?????・・・。
 これで納得しない人(私です!)のために、今度はドアを5枚にしてみる。挑戦者はAのドアを選び、司会者がB、C、Dのドアを次々と明け、それらがハズレであることを教えてくれたとしよう。このとき、最初に選んだAのままが有利か、あるいは開かれずに残ったEに変更したほうが有利か、という問題である。このとき、「A以外のあたりの可能性がEに凝縮された」と感じる人が多いのではないだろうか?
 さらに、極端な例をだすと、ドアが100万枚あると想像してみたとき、「100万枚の中から挑戦者があてずっぽうで選んだ一枚のドア」と、「挑戦者が選ばなかった99万9999枚の中から1枚だけ残されたドア」の二者択一ということになれば、後者の確率のほうが高いと感じられるのではないだろうか。

 な、ナルホド!!目からうろこです。
 他の3問も、ふだん直感的に考えているのとは、まるで違う答えなのですが、説明を読めばおなじくナルホドと納得できてしまうものばかりだ。いかに自分が普段の日常を感覚的に生きているかということが分かります。
 そもそも確率というのは、本来膨大な試行を経てはじめて正しい数字が得られるのだそう。しかし、私たちの日常ではそれほど膨大な試行を得る機会など当然ながらない。そのため、少ない経験に基づく自分の直感は、膨大な試行から導かれる確率とずれてしまうのだそうだ。
 逆に言えば、そういうありそうにないことは、私たちの生活で考える必要がなかったからだともいえる。たしかに、確率が何分の1だろうと、自分に実際に起こることはたった1つ、100か0のどちらかなのだ。例えば、ウイルスに感染しているのは100分の1といわれても、自分にとっては感染しているか(100)、していないのか(0)のどちらかであって、50%感染しているということはありえない。変えのきかない、N=1の人生をいきているのである。そういうちっぽけな数をはるかに凌駕した自然の偉大さよ…!

 たまにはこういう膨大な数のなかから世界を眺めてみるのもいいかもしれない。文系の立場からは絶対に見えてこない世界。でも、確実に世界はそういう物理とか数学とかでなりたっているんだよなぁ、と思うと不思議な気持ちになる。人間が手出しできないもの、神秘のヴェールをまとって完璧にそこにある自然。うーん、ロマンチック。そりゃばかはばかなりに、理解したいとは思うよ。というわけで、ニュートンよ。これからもよろしく。

 他の3問についての答えだけ、載せておきます。問1は、クラス50人のなかで同じ誕生日の人が一組でもがいる確率は97%(!)。問2の、日本シリーズが第7戦(4勝3敗)までもつれこむ可能性は、31.25%で、これは4勝2敗のときの確率とまったく一緒なのだ。問4については、精度99%の検査で陽性と判定されたということは、検査を受ける前には1万人に1人だった確率(0.01%)が、100人に1人(1%)に増加したに過ぎないということだ。なぜそうなるのかは、雑誌で確認するか、もしくは数式をたてて解いてみてください。でも、365の50乗はきついな…。
スポンサーサイト

Posted at 09:23 | Anything | COM(2) | TB(0) |
2008.03.03

「声が好き」のワナ

 金曜日の深夜0:00。それは、「そろそろ寝ようかな~」と思いつつも、ラジオをつけたときのこと。
 
 私は、2年くらい前までJ-waveのヘビーリスナーだった。朝のジョン・カビラから始まり深夜のTR2に至るまで、タイムテーブルはナビゲーターも含めてほとんど言えたし、J-waveが聞けなくなるから東京以外には住めない、とまで思っていた。
 しかし、いつの間にかそれほど熱心には聞かなくなった。番組のコンテンツ自体にそれほど興味を持てなくなったということもあるし、OH!マイレディオが知らない若手ミュージシャンたちにのっとられたというせいもあるし、私が忙しくなったというせいもある。聞かなくなった時期が、ちょうど大幅な番組改変期と重なったせいもあって、今ではどういう番組があるのかさえよく把握していない。

 そんなJ-waveを久しぶりにつけた深夜のこと。ラジオから聞こえてきたのは、ある男の人の声だった。
 この声…、どこかで聞いたことがあるような、ないような…。ちょっと鼻がかっている、低くて雰囲気のある声だ。悪くない。このステキな声の持ち主は一体誰なんだろう。気になった私は、眠いのを我慢して、さしておもしろくないトークに耳を傾け続けた。 
 そして、15分くらいたったときのこと。ふとラジオから「ふかわ~」という声が聞こえてきた。ふかわ?まさか…。
 
 そう、そのステキな声の持ち主は、ふかわりょうだったのだ。断っておくが、私はこれまで一度もふかわりょうのことをステキとかかっこいいとか、ましてや声が好きなど思ったことは断じてない。いや、なかったと思う。それが、ひとたび姿が見えずラジオからぼそぼそと語りだしたとたん、私はなにをときめいているのか。

 眠りに落ちる寸前の、遠のく意識の中で、「そうか、私はなんだかんだ言って、好みの声はふかわりょうなんだ…。」としばし感慨にふけりました。

Posted at 20:11 | Anything | COM(2) | TB(0) |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。